訃報

BLUE NEWS

日野元彦 氏 急逝

 トコさんこと日本のJAZZドラマーの第一人者、日野元彦氏が’99年5月13日に膵臓ガンのため亡くなりました。1946年1月3日生まれ。トランペッター日野皓正氏の実弟。幼少よりタップを習い8歳で舞台に立つ。その恵まれた才能でドラムを始め、63年プロに。兄皓正氏のバンドや、自己のバンドで多くのアルバムをリリース。私(管理人)も何度かお会いしましたが、あの小柄な体で、良くあんなタイトなリズムをキープ出来るものだと感心していました。故人のご冥福をお祈りいたします。
鈴電ホームページでは追悼の意を表して、ドラムソロをフューチャーしたMIDIデータを大募集しております。


メル・トーメ 氏 急逝

 メル・トーメ氏(米国のジャズ歌手)が’99年6月5日脳卒中の合併症のため、米カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)大学病院で死去。73歳。 4歳の時からラジオ番組などで歌い始め、1980年代前半にグラミー賞を2年連続受賞するなど、’96年に脳卒中で倒れるまで、米国の実力派ジャズ歌手の代表的存在として活躍しました。作曲家としても知られ、大ヒット曲「クリスマス・ソング」など約300曲を残しました。故人のご冥福をお祈りいたします。


村下孝蔵 氏 急逝

 シンガー・ソングライターの村下孝蔵(むらした・こうぞう、本名同じ)氏が’99年6月24日、高血圧性脳内出血のため亡くなった。’82年の「ゆうこ」で注目され、翌年の「初恋」「踊り子」の大ヒットで一躍人気者になった。都内のスタジオでコンサートのリハーサルをしていた20日に倒れ、入院していた。故人のご冥福をお祈りいたします。


池田貴族 氏 急逝

 がんと闘いながら音楽活動を続けたロック歌手、池田貴族(いけだ・きぞく、本名・貴=たかし)氏が、’99年12月25日肝細胞がんのために亡くなった。36歳だった。名古屋市生まれ。ロックバンド「リモート」のボーカリストとして、TBSの音楽番組「平成名物テレビ・いかすバンド天国」出演を機に’90年「NO!」でデビュー、3枚のアルバムを発表した。’92年のバンド解散後はソロに転じた。 しかし、’96年10月に肝細胞がんが発見され、手術と再発を繰り返した。闘病中も音楽活動を続け、’99年4月にはアルバム「MiYOU」を出した。また「誕生」など二冊の闘病手記も出版した。がん遺児救済を呼び掛ける運動にも取り組み、同年5月には名古屋市内で慈善公演を行った。 


中田喜直 氏 急逝

 「雪のふるまちを」「夏の思い出」「めだかの学校」「ちいさい秋みつけた」などで知られる日本童謡協会会長の作曲家、中田喜直氏が、’00年5月3日直腸がんのために亡くなった。76歳。東京都出身。1943年に東京音楽学校(現・東京芸大)ピアノ科を卒業し、戦時中は爆撃機を操縦した。戦後作曲活動に入り、作曲家集団「新声会」に所属。父は「早春賦」の作曲者中田章氏。覚えやすく印象的なメロディーで、広く親しまれる曲を多数作曲した。日本のシューベルトと呼ばれるに相応しい優れた歌曲を世に出し、生涯の作品数は約2000曲にも上る。嫌煙運動家としても熱心で、著書に「音楽と人生」「嫌煙の時代」(共書)などがある。


井上大輔氏 急逝

 ’60年代の人気GS「ブルー・コメッツ」の元メンバーとして知られる、作曲家の井上大輔氏が、’00年5月30日未明、東京の自宅で首をつって死亡しているのが発見された。遺書などから持病の網膜剥離を苦にしての自殺と見られる。東京都出身。日大芸術学部音楽学科にて作曲を学んだ。’64年にブルー・コメッツに参加し、「ダイちゃん」の愛称で親しまれ、フルート、サックス、リードボーカルなどを担当。’66年の「青い瞳」が大ヒット。「ブルー・シャトウ」「北国の二人」等数々の名曲を生み、ブルー・コメッツをGSの頂点に押し上げた。

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